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聖徳太子(しょうとくたいし)

飛鳥時代の皇族、摂政[日本]

(ユリウス暦) 0574年 2月7日 死去享年歳

聖徳太子 - ウィキペディアより引用

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))は、飛鳥時代の皇族、政治家。
厩戸皇子または厩戸王の後世の呼称。
用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。
推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆につとめた。
呼称 本名は厩戸(うまやど・うまやと)であり、厩戸の前で出生したことによるとの伝説がある。
また、母が実母である蘇我小姉君の実家、つまり叔父・蘇我馬子の家で出産したため、馬子屋敷が転じて厩戸と付けられたとする説や、生誕地の近辺にある厩戸という地名から名付けられたとする説もある。
別名として豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)、上宮王(かみつみやおう)とも呼ばれ、顕真が記した『聖徳太子伝私記』の中で引用されている慶雲3年(706年)頃に作られた「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇、『古事記』(和銅5年、712年)では上宮之厩戸豊聡耳命、『日本書紀』(養老4年、720年)では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王、東宮聖徳と記されている。

飛鳥時代の摂政。用明天皇の皇子。名は廏戸豊聡耳皇子。聖徳太子は諡名。上宮王ともいう。おばにあたる推古天皇の摂政として政治を整備した。冠位十二階・十七条憲法を制定。国史の編纂を行ない、小野妹子を隋へ派遣し国交を開き大陸文化導入に努めた。特に仏教興隆に尽力し、『三経義疏』を著わし、法隆寺・四天王寺を建立するなど多くの業績を残した。推古30年(622)歿、48才。 (引用元 コトバンク)