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国枝利通 氏

プロ野球選手[日本]

(中日で活躍)

2011年 3月8日 死去肺炎享年90歳

国枝利通 - ウィキペディアより引用

国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2011年3月8日)は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。
来歴・人物 岐阜商業学校で、1938年春の第15回選抜中等学校野球大会と同年夏の第24回全国中等学校優勝野球大会に出場。
春は東邦商業学校に準決勝で敗れ、夏は決勝で平安中学校にサヨナラ負けし準優勝に終わったが、1940年春の第17回選抜中等学校野球大会では5番打者・中堅手として優勝に貢献。
チームメイトにはエース投手の大島信雄がいた。
卒業後は明治大学へ進み、大学卒業後は地元の社会人野球チームの大日本土木に所属。
1946年と1947年にエースの中原宏らと共に都市対抗野球大会を2年連続で優勝した。
1948年、中日ドラゴンズ(1951年 - 1953年は名古屋ドラゴンズ)へ入団しプロ入り。
1年目に自慢の俊足で34盗塁を記録した。
3年目は二塁のレギュラーを獲得し、133試合に出場して自己最多の39盗塁をマークした。
1952年は116試合に出場し、打率.303と初の打率3割を打ち、リーグ8位の記録だった。

元プロ野球選手。解説者。 2011年3月8日、死去。90歳だった。 岐阜市出身。 岐阜県立岐阜商業高等学校から明治大学に進み、社会人の大日本土木を経て1948年に中日ドラゴンズに入団。主に内野手として活躍した。中日が初めて日本一となった1954年シーズンを最後に引退、その後は解説者などを務めた。 ○ (引用元 Hatena Keyword)

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