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河野広 氏

九州産業大学名誉教授[日本]

2010年 6月16日 死去肺炎享年86歳

河野広中(こうの ひろなか、嘉永2年7月7日(1849年8月24日) - 大正12年(1923年)12月29日)は、日本の武士(三春藩士)、政治家。
第11代衆議院議長。
磐州と号した。
福島県庁前に「河野磐州翁」の銅像が立っている。
生涯 生い立ち 嘉永2年7月7日(1849年8月24日)、陸奥国三春藩郷士・河野広可と妻・リヨ子の三男として生まれる。
河野家は100石を給せられる他、呉服商・酒造業・魚問屋などを手広く営んでいた。
川前紫渓に儒学を学び、その影響で尊皇攘夷論を唱えるようになった。
戊辰戦争にあたっては、三春藩は当初、奥羽越列藩同盟に加盟していたが、河野は兄・広胖らと共に明治政府への帰順を工作し、東山道先鋒総督府参謀であった板垣退助に会見した。
三春藩が帰順した後に土佐藩兵に合流し、二本松藩攻略と会津戦争に参加した。
自由民権運動への参加 明治維新後は、地元で若松県権少属、戸長、区長などを歴任した。
明治6年(1873年)2月には磐前県第14区(のちの福島県常葉町・現田村市)副戸長に任命されるが、この頃ジョン・スチュアート・ミルの『自由乃理』(中村正直の訳)を読み、自由民権運動に開眼する。