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小笠原長和 氏

千葉大学名誉教授[日本]

2009年 9月15日 死去心不全享年94歳

小笠原 長和(おがさわら ながよし、文政4年(1821年)- 天保11年10月23日(1840年11月16日))は、肥前国唐津藩の第4代藩主。
忠知系小笠原家12代。
大和国郡山藩主柳沢保泰の九男。
官位は従五位下。
佐渡守。
幼名は元之助。
生涯 先代の唐津藩主小笠原長会の養子となり、天保7年(1836年)に長会の死去により跡を継いだ。
同年6月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。
天保8年8月25日、従五位下佐渡守に叙任する。
天保の大飢饉により領内で大飢饉が起こると、その救済に尽力した。
しかし家臣の一部に不逞な輩がいたことが原因で、天保10年(1839年)に領内で一揆が起こった。
これを鎮めるために尽力していた翌年10月23日、失意のうちに20歳で死去し、跡を養嗣子の長国が継いだ。
墓所は佐賀県唐津市の近松寺。

おがさわら-ながかず 1822-1840江戸時代後期の大名。文政5年7月3日生まれ。大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩主柳沢保泰(やすひろ)の9男。小笠原長会(ながお)の養子となり,天保(てんぽう)7年肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩主小笠原家4代。同年の大飢饉(だいききん)の際粥(かゆ)をたいておおくの人をすくったが,10年の百姓一揆(いっき)は武力で鎮圧した。天保11年10月23日死去。19歳。名は「ながよし」ともよむ。 (引用元 コトバンク)

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