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人生幸朗 氏(じんせいこうろう)

漫才師、元 人生幸朗・生恵幸子[日本]

(本名・比田孝三郎)

1982年 3月4日 死去急性肺炎享年76歳

『人生幸朗・生恵幸子』より : 人生 幸朗・生恵 幸子(じんせい こうろ・いくえ さちこ)は、日本の夫婦漫才コンビ。
昭和後期(戦後)に大阪を拠点に活動した。
夫の幸朗が歌謡曲や世相などにとんちんかんな難癖をつけ、「責任者出てこい!」の決めゼリフを吐く「ぼやき漫才」で、テレビ・ラジオを通じ、関西のみならず全国的に認知された。
コンビ略歴 それぞれのメンバーが別のコンビで活動したのち、1954年に結成。
寄席出演のかたわら、草創期の在阪民放テレビ局の演芸番組に頻繁に出演するようになる。
当初は都家文雄直伝の社会・世相・時事を扱ったぼやきに徹したが、2人は漫才作家の用意した台本を覚えるのが早くても15日はかかったため、ネタが古臭くなるのを避けて、流行歌にぼやくスタイルに変わったという。
幸子が病気療養中の1973年ごろ、幸朗がKTVの深夜番組『ナイトパンチ』にピンでレギュラー出演。
これを機に若者層に認知され、幸子復帰後のコンビが全世代的に浸透する。
1978年、「関西大衆芸術家友好訪中団」の一員として中国で口演。
1982年の幸朗の急死直前まで活動した。
受賞歴 1974年 上方漫才大賞奨励賞 1977年 上方お笑い大賞 1978年 大阪市民表彰 弟子 柳井幸多朗 - 吉本新喜劇で活躍。

漫才師。 本名・比田孝三郎。 1907年11月2日、大阪府中河内郡長瀬生まれ。 1927年11月、梅田青龍館に出演中の芝居一座に入座。 1931年、荒川芳丸に入門し荒川芳蔵を名乗ると同時に三遊亭円若に音曲を師事。 翌年、ぼやき漫才の都家文雄に入門、都家文蔵を名乗り、「都家文蔵興業部」を設立し、興行師も兼ねる。 1940年、吉本興業へ入り、高田田鶴子(後の守住田鶴子)とコンビを結成、軍隊慰問などを行う。 1945年3月2日には、陸軍22部隊に入隊。翌年11月11日、復員。 1947年3月、「人生航路」を名乗り、「青春ブラザーズ」を結成。 1954年4月、庭野千草(後の生恵幸子)とコンビを結成。翌年には幸朗に改名、人生幸朗・生恵幸子コンビとなる。 1956年3月より施設の慰問を始め、様々な奉仕活動に貢献。後に感謝状などを受ける。 1974年4月18日、上方漫才大賞奨励賞受賞。賞金を琵琶湖学園に寄付。 1977年12月12日、上方お笑い大賞受賞。翌年11月25日、大阪市市民表彰(文化功労)受彰。 1982年3月4日、死去。享年74歳。 (引用元 Hatena Keyword)