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ロベルト・マルカーノ 氏Roberto Antonio "Bobby" Marcano Cherubini

プロ野球選手[ベネズエラ]

1990年 11月13日 死去肺がん享年40歳

『』より :

Roberto Marcano ボビー・マルカーノとも。 MLBマイナーリーグ選手。プロ野球選手。 右投右打、ポジションは二塁手。背番号は4→3番。 1951年6月7日生まれ。ベネズエラ共和国カラカス出身。 カラカス高校卒業後、カリフォルニア・エンゼルス傘下の3Aソルトレークシティに入団。 1975年、上田利治とロベルト・バルボンに誘われ、阪急ブレーブスに入団。 ダリル・スペンサーの後釜として期待される。 チャンスに強く、入団初年度から4番打者を任され、5度のパ・リーグ優勝に貢献。 バーニー・ウィリアムス、長池徳士、福本豊、加藤英司と共に打撃陣を牽引。ブレーブス黄金時代を形成。 丸眼鏡が特徴の二塁手として人気を博した。 また、シーズンオフには母国のウィンターリーグに参加、真面目な性格が好感を呼んだ。 1976年、日本シリーズでは4番に抜擢され、日本シリーズ6度目にして初めて日本一に輝く。 1978年、94打点を挙げ、打点王に輝く。 1979年には、加藤英司・島谷金二?らと共に100打点を達成。 1982年8月13日、西武ライオンズ戦でランニング本塁打を記録。 1983年、ヤクルトスワローズに移籍。移籍後も中軸を打った。 1985年、現役引退。 引退後、ルイス・サンチェのスペイン語通訳として再来日する。 1988年、読売ジャイアンツの中南米スカウトに就任。 1990年11月13日、肺がんのため、カラカスの自宅にて死去。享年39歳。 ブレーブス史上屈指の優良外国人選手である。 記録や金額よりも、野球をプレーすることの楽しさを愛する人であった。 なお、曽祖父は九州出身の日本人である。 (引用元 Hatena Keyword)