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ピウス2世Pius II

ローマ教皇[イタリア]

(ユリウス暦) 1464年 8月14日 死去享年60歳

ピウス2世 - ウィキペディアより引用

『ピウス2世 (ローマ教皇)』より : ピウス2世(Pius II、1405年10月18日 - 1464年8月14日)は、ルネサンス期のローマ教皇(在位:1458年 - 1464年)。
本名はアエネアス・シルウィウス・ピッコローミニ(Aeneas Silvius Piccolomini, イタリア語:Enea Silvio Piccolomini)。
シエナ出身で、シエナ大学で学ぶ。
元々人文主義者の代表的な人物で、詩人、歴史家として高名であり、神聖ローマ帝国に仕え、皇帝の側近、外交家としても知られていた。
教皇エウゲニウス4世時代のバーゼル公会議に神聖ローマ帝国の宰相として参加し、教皇派と公会議首位派の対立を収束させるべく尽力した。
その後聖職者となり、カリストゥス3世の死後、教皇に選ばれ、ピウス2世を名乗る。
1459年、枢機卿ヨハンネス・ベッサリオンの尽力を得てヨーロッパ諸国に呼びかけ召集したマントヴァ教会会議で、オスマン帝国に対する十字軍遠征を提唱する。
消極的な神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世に対してはかなり強硬な態度で参加を迫ったにも拘わらず、彼をはじめ応じる君主・国は殆どなかった。

ピウスにせいPiusII [生]1405.10.18.コルシニャノ[没]1464.8.15.アンコナ教皇(在位1458~64)。人文主義者。本名EneaSilvioPiccolomini(文学者としてはAeneasSilivius)。1447年トリエステ,49年シエナ司教。56年枢機卿。対トルコ十字軍派遣に精力を注いだが,フランス,ドイツとの対立ではかどらず,最後にみずから軍を率いて立とうとして没した。その間60年には公会議首位説を排する大勅書Execrabilisを出した。歴史,地理,教育学の著作のほか,書簡集,さらに世俗的な恋愛小説"DeduobusamantibusEurialoetLucresia"(1444),戯曲"Chrysis",自伝などを残した。 (引用元 コトバンク)