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ルイ9世Louis IX

フランス国王[フランス]

(ユリウス暦) 1270年 8月25日 死去ペスト享年57歳

ルイ9世 - ウィキペディアより引用

『ルイ9世 (フランス王)』より : ルイ9世(Louis IX, 1214年4月25日 - 1270年8月25日、在位:1226年 - 1270年)は、フランス王国カペー朝第9代の国王でルイ8世とカスティーリャ王アルフォンソ8世の娘ブランシュの子。
死後、カトリック教会より列聖されSaintが称され、ここから、Saint-Louis(サン=ルイ)と呼ばれるようになった。
これは日本語では聖ルイあるいは聖王ルイと訳される。
米国の都市、セントルイス(ミズーリ州)の地名の由来ともなった。
ブルボン家の先祖でもあり、同家の王の多くがルイを名乗るのも彼に由来すると思われる。
同じく聖王と称されたカスティーリャ王フェルナンド3世は従兄。
内政に力を入れ長期の平和を保ったため、彼の治世の間、フランス王国は繁栄した。
国内外を問わず、争いを収めるよう努力したためヨーロッパの調停者と呼ばれ、高潔で敬虔な人格から理想のキリスト教王と評価されている。
ただ、宗教的情熱から2回の十字軍を行ったが、莫大な費用を費やし、自身も捕虜となるなど散々な負け戦を喫し、失敗に終わっている。

ルイきゅうせいLouisIX,SaintLouis [生]1214.4.25.ポアッシー[没]1270.8.25.チュニス付近フランス王(在位1226~70)。カペー家出身。「聖ルイ」とも呼ばれる。ルイ8世の長男。フランス封建王政の最盛期の王で,正義の王とされた。幼年で即位し,1235年まで母后ブランシュ・ド・カスティーユが摂政をつとめたが,この間のすぐれた統治によりのちの繁栄の基礎が築かれた。親政初期,イングランド王ヘンリー3世に支援された貴族の反乱をタイユブール橋の合戦(42)で破り,さらにヘンリー自身をブライユに追撃。43年の休戦以降王国内に大きな動揺の生じることはなかった。諸侯間の調停者として王領内の私戦を禁じ,国王政府から裁判部門である高等法院を独立させ,標準通貨の品位を確定し,地方を監察する巡察官制を定め,王領は,大西洋から地中海にまで拡大した。また2度十字軍遠征を行なった。すなわち48年第7次十字軍を率いてエジプトに遠征し捕虜となったが,その人柄がイスラム教徒によく理解されて「正義のスルタン」と呼ばれた。釈放後聖地に巡礼して帰国。70年国内の反対を押して第8次十字軍をチュニスへ発進させ,同市を攻囲したが,疫病のため陣中に没した。神の代理としての王,殉教の王とたたえられ,民衆のなかにも王の権威が浸透し,97年聖人に列せられた。 (引用元 コトバンク)