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星亨(ほしとおる)

政治家[日本]

1901年 6月21日 死去刺殺享年52歳

星亨 - ウィキペディアより引用

星 亨(ほし とおる、嘉永3年4月8日(1850年5月19日) - 明治34年(1901年)6月21日)は、日本の政治家。
元衆議院議員。
江戸築地の小田原町(現在の東京都中央区築地)、左官屋の子に生まれ、維新後に横浜税関長となり、のちに渡英して弁護士資格を取得した。
明治15年(1882年)自由党に入り「自由新聞」により藩閥政府を批判した。
明治16年(1883年)には福島事件で河野広中を弁護した。
明治17年(1884年)に官吏侮辱の罪に問われ明治20年(1887年)保安条例発布で東京を追われた。
明治21年(1888年)出版条例違反で入獄した。
明治25年(1892年)第2回総選挙に当選して衆議院議長となった。
第4次伊藤内閣で逓信相となったが東京市疑獄事件で辞職した。
明治34年(1901年)、伊庭想太郎に刺殺された。
生涯 江戸の左官屋佃屋徳兵衛の子として生まれる。
父は金遣いが荒く倒産し行方不明となり、母松子が髪結いや下女奉公に出た。
それから、浦賀の医師星泰順と結婚し、星姓を名乗った。
泰順は当初医者稼業だけでは食べていけず、引き続き松子は髪結いなどをして生計を立てた。

ほしとおる [生]嘉永3(1850).4.8.江戸[没]1901.6.21.東京明治期の政治家。左官職佃屋徳兵衛の子に生まれ,星家の養子となる。英学を学び,明治2(1869)年神奈川県三等訳官となった。知事陸奥宗光の知遇を受け,同5年横浜税関長。のちイギリスに留学,法廷弁護士の資格を得て帰国し,代言人となり,のち弁護士となった。1881年自由党結成後まもなく入党,『自由新聞』の経営に参加。また,新聞『自由之灯』を発行,論客として活躍した。その間官吏侮辱罪などで入獄2回,政府の弾圧を受けながら1887年の在野各政党の大同団結運動を推進した。第2回衆議院議員総選挙以後代議士に当選,1892年衆議院議長となった。しかし,1893年後藤象二郎とともに取引所設置をめぐる疑獄事件に連座して除名された。このとき議長解任の決議を数度にわたり無視,登院したことは著名。日清戦争後は大韓民国の法律顧問となり,陸奥の斡旋により1896年駐米公使となった。1898年大隈重信,板垣退助の憲政党内閣(隈板内閣)ができると帰国して憲政党を分裂させ,1900年伊藤博文と結んで立憲政友会を結成し,同年10月第4次伊藤内閣の逓信大臣となったが,東京市会疑獄事件の中心人物とみられて辞任。翌1901年6月,元東京市四谷区学務委員伊庭想太郎によって刺殺された。非常な読書家で,蔵書1万冊余は死後,慶應義塾図書館に寄贈され,星文庫となった。 (引用元 コトバンク)