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辰巳柳太郎 氏(たつみりゅうたろう)

俳優[日本]

(本名・新倉武一)

1989年 7月29日 死去心不全享年85歳

辰巳柳太郎 - ウィキペディアより引用

辰巳 柳太郎(たつみ りゅうたろう、1905年(明治38年)4月20日 - 1989年(平成元年)7月29日)は昭和に活躍した俳優。
島田正吾と共に、劇団新国劇の屋台骨を支えた。
本名は新倉 武一(しんくら たけいち)。
来歴・生涯 兵庫県赤穂郡坂越村(現・赤穂市)生まれ。
少年時代に養子に出されるも、養家を13件も転々としながら大阪市立甲種商業学校(現・大阪市立天王寺商業高等学校)を中退し、1919年、小林一三が国民劇創設のため作った「男子養成会」の創設メンバー・男子専科生第一期生として宝塚入りした。
1926年(大正15年)に旅回りの一座に入り長野で初舞台を経験する。
半年後、小林一三主宰、坪内士行文芸部長の「宝塚国民座」に入団、東伍作の名で舞台に立つ。
その後、新国劇の澤田正二郎の魅力に引かれ1927年(昭和2年)、道頓堀の浪花座で公演中の澤田を楽屋に訪ね弟子入りを直談判し新国劇への入団を許される。
新国劇での初舞台では『国定忠治』の駕篭かき役を演じた。
その後、芸名を「辰巳柳太郎」と改める。
芸名は師匠の澤田が辰年、柳太郎が巳年生まれだったことに由来する。

たつみりゅうたろう [生]1905.4.20.兵庫[没]1989.7.29.東京俳優。本名新倉武一。画家志望であったが俳優になり,1927年宝塚国民座から新国劇へ入った。新国劇の創立者沢田正二郎の急死後,風貌が沢田に似ていたことから大部屋より抜擢され,先輩の島田正吾とともに同座の二本柱となり,その維持,発展に尽した。沢田のレパートリーを継承した『国定忠治』『月形半平太』『大菩薩峠』などのほか『無法松の一生』が知られる。第2次世界大戦後の代表作は北条秀司作『王将』や吉川英治原作『宮本武蔵』など。剣劇の豪放さと人情味をあわせもち人気を得た。 (引用元 コトバンク)