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ピウス4世Pius IV

ローマ教皇[イタリア]

(ユリウス暦) 1565年 12月9日 死去享年67歳

ピウス4世 - ウィキペディアより引用

『ピウス4世 (ローマ教皇)』より : ピウス4世(Pius IV、1499年3月31日 - 1565年12月9日)は、ローマ教皇(在位:1559年 - 1565年)本名はジョヴァンニ・アンジェロ・メディチ(Giovanni Angelo Medici)。
中断していたトリエント公会議を再開し、完了させたことでカトリック改革の推進に大きく寄与した。
名字は同じだが、メディチ家との血縁はない。
生涯 ミラノ出身。
ボローニャ大学で法学を学び、法律家として名声を博した。
1527年にローマへ赴き、パウルス3世の寵臣となり、いくつかの街の長官からラグーザの大司教、ボローニャの副教皇使節を経て1549年に枢機卿になった。
パウルス4世の死後の1559年12月25日に教皇に選出され、1560年1月6日にピウス4世として教皇座についた。
教皇として彼が初めにおこなったことは、前教皇時代の反乱に参加したとされて断罪した人々の恩赦と、前教皇の下で専横を尽くしたカルロ・カラファ枢機卿とパリアノ男爵の裁判と両名の処刑であった。

ピウスよんせいPiusIV [生]1499.3.31.ミラノ[没]1565.12.9.ローマミラノ出身の第224代教皇(在位1559~65)。本名GiovanniAngelode'Medici。教会法学者だったが,1545年ラグーザ大司教,1549年司祭枢機卿(→カーディナル)となる。1559年12月,教皇に選出された。1560年に甥のカルロ・ボロメオを助祭枢機卿に叙任して重用し,教会改革に大きな成果を上げた。1552年から頓挫していたトリエント公会議の再開に尽力し,1562年から1563年にかけて開催を実現。1564年,トリエント公会議の決議を大勅書"BenedictusDeus"において公布し,教義集"ProfessioFideiTridentina"の中で司教の義務を示した。また,アビラのテレサのカルメル会による改革運動を支援し,宗教裁判所(→宗教裁判)の力を弱めた。 (引用元 コトバンク)