芸能人・経営者のおくやみ情報

柳家金語楼 氏(やなぎやきんごろう)

落語家俳優脚本家・有崎勉[日本]

1972年 10月22日 死去享年72歳

柳家金語楼 - ウィキペディアより引用

初代柳家 金語楼(やなぎや きんごろう 1901年2月28日 - 1972年10月22日)は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。
本名・山下敬太郎(やました けいたろう)。
落語家時代の出囃子は『琉球節』。
禿頭を売り物にし、エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた。
戦前は主に吉本興業(東京吉本)に所属し、戦後は自ら「金星プロ」を立ち上げた。
旧字体による芸名表記は柳家金語樓。
落語家として 1901年 落語家であり東京の芝の葉茶屋「山下園」を営んでいた三遊亭金勝の長男として生まれる。
兄弟に男四人、女一人の長男。
父金勝は、金語楼が初舞台を踏んだ時に2代目三遊亭金馬の演芸団(三遊亭金馬一座)の一員として金勝を名乗りドサ回りを行い、1931年には三遊亭金翁を名乗った人物である。
1907年 2代目三遊亭金馬一座で天才少年落語家としてデビュー。
三遊亭金登喜(きんとき)を名乗る。
1913年頃 三遊亭小金馬を襲名し二つ目昇進。
1920年6月 3代目柳家小さん門下に移り、初代柳家金三で真打昇進。

やなぎやきんごろう [生]1901.3.14.東京[没]1972.10.22.東京落語家,喜劇人。本名山下敬太郎。父の金勝とともに3世三遊亭金馬の門下で,6歳から高座に上った。小金馬,金三を経て,朝鮮で1年半の軍隊生活をおくった。除隊後その体験を落語化した『兵隊』とそれに続く兵隊物の劇や,ラジオ・レコードの語りで一躍有名になった。1939年金語楼劇団をつくり,映画,舞台,放送に活躍。第2次世界大戦後もテレビの喜劇タレントとして息の長い人気を保った。68年喜劇人協会の2代目会長。有崎勉のペンネームで600本に上る新作落語を書いた。 (引用元 コトバンク)