内海好江 氏(うつみよしえ)
漫才師、内海桂子・好江[日本]
1997年 10月6日 死去胃がん享年62歳
内海 好江(うつみ よしえ 、本名・奥田 好江、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉10月6日)は、日本の漫才師。
東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。
マセキ芸能社に所属し、内海桂子・好江の名で内海桂子と女性漫才コンビとして活動していた。
来歴・人物=
両親は夫婦漫才師の荒川小芳・林家染寿。
1945年にデビュー。
女剣劇や父娘漫才を経て、1950年の14歳の時に内海桂子と女性漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成。
三味線教室へ通い毎日10時間以上の猛練習を行い、猛スピードで成長。
1958年、4度目の挑戦で『NHK新人漫才コンクール』で優勝。
その前年は、準優勝だったことを桂子から「好江のせいだ」と当たられ自殺未遂を起こしたことがある。
1961年には『文部省芸術祭奨励賞』を受賞し、1982年には『芸術選奨文部大臣賞』を受賞した。
1983年にはキャディーズとして桂子と『キャディーさんのひとりごと〜練習してからまたおいで〜』(1983年、ポリドール)という曲も出している。
長くコンビを組むうちに桂子との間に軋轢が生まれ、デビュー以来ギャラ配分が4:6だったことがきっかけで解散騒ぎに発展。
事務所などが間に入り解散は免れたものの、このことがきっかけで1人で仕事をしたいと思い至り、単独での番組出演をするようになる。
その後、長期間にわたってコンビ仲が悪く舞台以外は口も聞かない状態が続いたが、桂子が新聞社から依頼の原稿で「好江の成 ……
内海好江さんが亡くなってから、27年と54日が経ちました。(9916日)