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力道山 氏(りきどうざん)

プロレスラー、元相撲力士[朝鮮]

(本名・金信洛)

1963年 12月15日 死去刺傷が原因による化膿性腹膜炎享年40歳

力道山 - ウィキペディアより引用

力道山(りきどうざん、朝鮮語:역도산(ヨットサン、Yeokdosan / Yŏktosan)、朝鮮文化語:력도산(リョットサン、Ryeokdosan / Ryŏktosan)、1924年11月14日 - 1963年12月15日)は、日本のプロレスラー。
本名・戸籍名・日本名:百田 光浩(ももた みつひろ)、旧名・出生名・朝鮮名:金 信洛(きん・しんらく、キム・シルラク、김신락(Gim Sinrak / Kim Sinrak))。
大相撲の力士出身。
身長176cm(プロレス時代の公称身長は180cm)、体重116kg。
生涯 生い立ち 日本統治時代の朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里(現在の北朝鮮統治範囲)で現地人の両親のもとに生まれた。
力士時代 二所ノ関部屋に入門し、1940年5月場所初土俵、1946年11月場所に入幕し、入幕2場所目の1947年6月場所に前頭8枚目で9勝1敗の星をあげ、横綱羽黒山、大関前田山、同東冨士ら3人と相星となり、この場所から設けられた優勝決定戦に出場した(優勝は羽黒山)。

りきどうざん [生]1924.11.14.朝鮮[没]1963.12.15.東京プロレスラー。本名百田光浩,旧名金信洛。現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に生まれたが,のちに長崎県大村市の百田家の養子となった。1940年大相撲二所ノ関部屋に入門,1946年入幕。1950年関脇の座を最後に相撲界を去り,1951年プロレスラーに転向。1952年渡米,1953年日本プロレス協会を設立した。日本におけるプロレスリングの創始者で,日本選手権,世界タッグ選手権,インターナショナル選手権など数々のタイトルを獲得したが,1963年暴力団員に刺された傷が元で死亡。弟子に,のちにプロレス界を支えたジャイアント馬場がいる。 (引用元 コトバンク)