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円谷英二 氏

特撮映画監督[日本]

1970年 1月25日 死去狭心症享年70歳

円谷英二 - ウィキペディアより引用

円谷 英二(つぶらや えいじ、本名:円谷 英一(つむらや えいいち)、1901年7月7日 - 1970年1月25日)は、福島県須賀川市生まれの特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家、「株式会社円谷特技プロダクション」初代社長。
旧制東京電機学校(現:東京電機大学)卒業。
昭和における特殊撮影技術の第一人者であり、独自に作り出した技術で特撮映画界に多大な功績を残したことから特撮の神様と呼ばれる。
円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史とそのまま重なっている。
円谷英二の誕生日は、現在まで様々な文献に言われ、1901年(明治34年)7月5日説や7月7日説があったが、円谷家の子孫である円谷誠が家系図を調べているうちに、円谷英二(家系図では円谷英一) の項目が誕生日7月10日であることを確認し、 念のため市役所の戸籍も調べたが、7月10日に間違いがなかったという(ただ、出生届を出すのが遅れたために役所の記録上は10日の日付で登録されてしまっていたのではないか?という見方もある)。

映画界黄金期を支え続けた、日本を代表する特撮マン。通称「日本特撮の神」。本名は英一。 1901年、福島県須賀川市生まれ。幼い頃からパイロットに憧れ、航空学校入学のため上京。日本初の空中撮影を成功させるが、後に学校自体が閉校してしまい夢を断たれる。その後神田電気学校を経て、撮影技師として映画界入り。1933年『キング・コング』に衝撃を受け、特撮を志すようになる。  所属を東宝に移し“特殊技術課”を立ち上げた円谷は、1942年に開戦1周年記念映画「ハワイ・マレー沖海戦」の特撮で一躍名を上げる。終戦後公職追放のあおりを受け大映や松竹への技術提供をしていたが、再び東宝に復帰、1954年、プロデューサー:田中友幸、監督:本多猪四郎と共に作り上げた水爆大怪獣映画『ゴジラ』が大ヒットを記録。この成功により「特技監督」として一本立ちすることとなった。  その後も東宝製作の怪獣、SF、怪奇、戦記映画等の幾多の作品においてその卓越した技術を披露。また1963年には「円谷プロダクション」を設立し、TV部門における映像技術の進化を図り、1966年には『ウルトラQ』『ウルトラマン』が大人気番組となり、“怪獣ブーム”の基礎を作り上げた。  1970年、自宅にて狭心症により死去。享年68歳。 (引用元 Hatena Keyword)