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ルイ14世

フランス国王[フランス]

1715年 9月1日 死去壊疽享年76歳

ルイ14世 - ウィキペディアより引用

『ルイ14世 (フランス王)』より : ルイ14世(仏:Louis XIV、1638年9月5日 - 1715年9月1日)は、ブルボン朝第3代のフランス王国国王(在位:1643年5月14日 - 1715年9月1日)である。
ナバラ王国国王としてはルイス3世(バスク語:Luis III.a)である。
ルイ13世の長子であり、妃はスペイン国王であるフェリペ4世の娘マリー・テレーズ・ドートリッシュである。
王朝の最盛期を築き、太陽王(Roi-Soleil)と呼ばれた。
父の死後、幼くしてフランス国王に即位し、宰相ジュール・マザランの補佐を得てフロンドの乱を鎮圧した。
1661年に親政を開始するとジャン=バティスト・コルベールを登用して中央集権と重商主義政策を推進した。
対外戦争を積極的に行い、帰属戦争、オランダ侵略戦争で領土を拡張して権威を高めると、ジャック=ベニーニュ・ボシュエの唱える王権神授説・ガリカニスムを掲げ、絶対君主制を確立した。
さらにミディ運河とヴェルサイユ宮殿を建設した。
治世後半のアウクスブルク同盟戦争、スペイン継承戦争では苦戦し、晩年には莫大な戦費調達と放漫財政によりフランスは深刻な財政難に陥った。

ルイじゅうよんせいLouisXIV,leGrandMonarque;leRoi-Soleil [生]1638.9.5.サンジェルマンアンレ[没]1715.9.1.ベルサイユフランス王(在位1643~1715)。ブルボン朝の最盛期を築き「大王」また「太陽王」と呼ばれた。ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの長男。5歳で父王に死別し即位。幼少時,摂政である母后とJ.マザランが国政を担当したが,フロンドの乱(1648~53)が起り,王はパリを脱出し各地を転々とした。1661年マザランの死後,親政を宣言した。初期,J.コルベールを起用して集権的官僚体制を整備し産業保護政策を推進すると同時に,ル・テリエ,ルーボア父子を重用し軍事力を強化して,ヨーロッパ大陸制圧政策を強行した。まず,60年ピレネー条約により政略結婚したスペイン王女マリ・テレーズの「王妃の権利」を利用してフランドル戦争(67~68)を開始,次いでオランダ戦争(72~78)を起し,王の威光は全ヨーロッパに及んだ。82年新築のベルサイユ宮殿に移り,ラ・バリエール,モンテスパン侯夫人,最後にマントノン夫人と寵愛の相手を変えながらも宮廷の秩序と規律を築き,「最大のキリスト教徒の王」を自負した。しかし,85年「ナントの勅令」の廃止(→フォンテンブロー勅令)を宣言してプロテスタント弾圧を再開すると,諸国の反撃が開始されファルツ戦争(89~97)を引起し,国内ではプロテスタントの反抗,カミザール戦争が展開し,王の威光は落日へ向った。晩年,スペインの王位と領土をめぐりスペイン継承戦争(1701~14)を起したが,戦いは泥沼化し,最後にユトレヒト条約で王孫フィリップがフェリペ5世としてスペイン王に認められた。 (引用元 コトバンク)