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ルイ11世Louis XI

フランス国王[フランス]

(ユリウス暦) 1483年 8月30日 死去享年61歳

ルイ11世 - ウィキペディアより引用

『ルイ11世 (フランス王)』より : ルイ11世(Louis XI, 1423年7月3日 - 1483年8月30日)は、フランス・ヴァロワ朝の王(在位:1461年 - 1483年)。
慎重王(le Prudent)と呼ばれる。
事績 シャルル7世とヴァロワ=アンジュー家のマリー・ダンジューとの子として、ブールジュに生まれる。
その敵たちには忌み嫌われて、「遍在する蜘蛛」(l'universelle araigne)という奇妙なあだ名を付けられていた。
その陰謀は父シャルルへも発揮され、何度も父王の退位を謀ったが失敗した。
1436年にスコットランド王ジェームズ1世の娘マーガレットと結婚し、この結婚によりブリテン島の政治に関心を持つ。
大陸での強敵ブルゴーニュ公国が薔薇戦争ではヨーク家を支持していたため、対抗措置としてランカスター家出身の王ヘンリー6世を復帰させるべく策動した。
マーガレットは王に顧みられなかったため、詩作に短い生涯を捧げた。
彼女の死後1451年に、ルイは8歳のシャルロット・ド・サヴォワと政略結婚を行う。
1461年の即位以来ルイは、近隣の大諸侯の権力を減殺するのに余念がなかった。

ルイじゅういっせいLouisXI [生]1423.7.3.ブールジュ[没]1483.8.30.プレッシーレツールフランス王(在位1461~83)。バロア家出身。シャルル7世の子。皇太子時代,1440年シャルル7世に反対するプラグリーに際し,反徒に加担したが失敗しドーフィネにこもった。56年ブルゴーニュ公シャルル(豪胆公)のもとに逃れ,父王の死までそこにとどまった。即位すると父王の側近を一掃し,諸侯勢力を積極的に分断する政策をとった。ブルゴーニュ公シャルルに指導された不平貴族のいわゆる公益同盟の反乱に直面して苦境に立ち,65年コンフランおよびサンモールの両条約の締結を余儀なくされたが,枢機卿ラ・ブリュの投獄(69),王弟シャルル・ド・フランスの死亡(72),アルマニャック伯の処刑(73),ブルゴーニュ公シャルルの戦死(77)など,巧妙な工作,果断な処置と幸運が相まって,主要な敵対勢力を一掃し諸侯を制圧することに成功した。強権による過酷な統治であったが,同時に秩序の回復,道路治安の確保,軍隊の規律の確立,駅伝制度の創設,印刷技術の導入など王権強化政策の実績をあげ,経済の繁栄をもたらした。 (引用元 コトバンク)