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団琢磨(だんたくま)

工業者、実業家[日本]

1932年 3月5日 死去暗殺享年75歳

団琢磨 - ウィキペディアより引用

『團琢磨』より : 團 琢磨(だん たくま 安政5年8月1日(1858年9月7日) - 1932年(昭和7年)3月5日)は、日本の工学者、実業家。
爵位は男爵。
アメリカで鉱山学を学び、三井三池炭鉱の経営を行う。
経営を成功させ、三井財閥の総帥となった。
三井合名会社理事長、日本工業倶楽部初代理事長などを歴任した。
生涯 安政5年(1858年)8月1日、筑前国福岡荒戸町(現在の福岡県福岡市中央区荒戸)で、福岡藩士馬廻役神尾宅之丞の四男として生まれる。
幼名は駒吉。
12歳の時、藩の勘定奉行、團尚静の養子となり、藩校修猷館に学ぶ。
明治4年(1871年)、金子堅太郎らと共に旧福岡藩主黒田長知の供をして岩倉使節団に同行して渡米し、そのまま留学する。
1878年(明治11年)、マサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業し帰国する。
一緒に渡米した金子はハーバード大学へ進むが、その後も二人の交友は続き、後に金子の妹芳子と結婚してその義弟となっている。
帰国後は、大阪専門学校(旧制第三高等学校の前身)助教授 、次いで東京大学理学部助教授となり、工学・天文学などを教える。

だんたくま [生]安政5(1858).8.1.福岡[没]1932.3.5.東京実業家,三井財閥の指導者。福岡藩士の家に生れ,明治4(1871)年13歳のとき,岩倉具視ら特命全権大使の欧米視察団に同行。そのままアメリカに在留し,マサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業,1878年帰国した。工部省鉱山局に勤務し,官営三池炭鉱に赴任,88年三池が三井に払下げられるとともに三井に入り,同炭鉱の近代化に努めた。1914年三井合名理事長となり,三井財閥を工業中心の事業体に発展させた。さらに日本工業倶楽部理事長,日本経済連盟の会長など,昭和初期における財界の最高指導者として活躍したが,三井本館前で血盟団員の凶弾に倒れた。 (引用元 コトバンク)