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西尾末広 氏

政治家、労働運動家[日本]

1981年 10月3日 死去腎不全享年90歳

西尾末広 - ウィキペディアより引用

西尾 末広(にしお すえひろ、1891年(明治24年)3月28日 - 1981年(昭和56年)10月3日)は、日本の労働運動家・政治家。
副総理、官房長官(第2代)、衆議院議員(通算14期)、民社党委員長(初代)などを歴任した。
来歴・人物 香川県香川郡雌雄島村(現・高松市)の女木島(通称「鬼が島」)の出身。
なお、高松市は同じく日本社会党の最高幹部となる成田知巳の出身地でもある。
小学校中退後、14歳で大阪砲兵工廠の旋盤工見習を皮切りに各地の工場で働く。
住友鋳鋼場職工から労働運動に身を投じ、住友鋳鋼場、大阪電灯、藤永田造船所、川崎・三菱造船所争議などの争議の指導と検束を繰り返す。
1919年(大正8年)に友愛会に入り松岡駒吉に接近、1926年(大正15年)には社会民衆党の結成に参加した。
中央大学を経て、1928年(昭和3年)、第1回普通選挙で社会民衆党から立候補し、初当選。
1932年(昭和7年)以降は社会大衆党に所属し幹事に就任した。
1938年(昭和13年)3月16日、衆議院本会議における国家総動員法案の審議に際し、同法案を支持する立場から、近衛文麿首相に対し「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、確信に満ちた指導者たれ」と激励する。

にしおすえひろ [生]1891.3.28.香川[没]1981.10.3.川崎政治家。年少で旋盤工となり,1919年労働運動に入る。25年労働総同盟政治部長,26年社会民衆党結成に参画。28年第1回普通選挙で衆議院議員に当選。第2次世界大戦中も大政翼賛会や産業報国会に属せず,敗戦後日本社会党結成の中心人物となった。46年同党書記長。47年初の片山社会党内閣の官房長官となる。48年芦田内閣の副総理となったが,昭和電工事件に連座して失脚。無罪となって政界復帰後,右派の首領として活動,60年にはついに党を割って民主社会党(民社党)を結成,初代委員長となった。67年に辞任。72年には政界を引退した。戦前,戦後を通じ,社会主義運動の右派勢力の実力者であった。 (引用元 コトバンク)