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大内啓伍 氏(おおうちけいご)

政治家、旧民社党元委員長[日本]

2016年 3月9日 死去肺炎享年87歳

大内 啓伍(おおうち けいご、1930年1月23日 - 2016年3月9日)は、日本の政治家。
勲等は勲一等。
厚生大臣(第76・77代)、民社党委員長(第7代)・書記長(第6代)・政策審議会長(第4代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、自由連合総裁(初代)、衆議院議員(通算6期)等を歴任した。
東京都中央区生まれ。
生家は銀座の割烹旅館。
早稲田大学第一法学部卒業後、アメリカ合衆国のイェール大学大学院に留学した。
学生時代は当初司法試験受験を目指していたが、実家の割烹旅館を訪れていた衆議院議員の春日一幸に誘われ、政界入りした。
1953年、右派社会党政策審議会事務局に就職。
1960年の民社党結党に参加し、党政策審議会事務局長や、非議員ながら副会長も務める。
1971年には民社党の理論誌『革新』を創刊し、同誌編集長を務めていた(ただし編集の実務は、党職員の寺井融が行っていた)。
1973年、アウグスト・ピノチェトによるチリ・クーデター後、民社党チリ調査団に参加してチリに入国。

おおうちけいご [生]1930.1.23.東京[没]2016.3.9.東京,大田政治家。1951年に早稲田大学法学部を卒業後,右派日本社会党の政策審議会に入る。1960年の民主社会党(民社党)結成に参画。政策審議会に入り,以後一貫して政策畑を歩む。党政審事務局長,党教宣局長を経て1972年に理論誌『革新』の編集長となり,党の理論面での中心的存在になる。1976年衆議院議員総選挙で初当選し,1979年党政審会長。1985年塚本三郎委員長のもとで党書記長に就任するが,翌1986年の総選挙で落選したため辞任。1990年の総選挙で返り咲き,永末英一委員長のあとを受けて党委員長に就任。それまでの社公民路線から自公民路線に変更して党の再生をはかったが,1993年自由民主党政権が崩壊すると野党連立に意欲を示し,細川連立内閣には民社党を代表して入閣,厚生大臣に就任した。1994年4月羽田連立内閣で再任,6月連立混乱の責任をとって党委員長を辞任。同6月に内閣が総辞職した。当選6回。その後,自民党に加わったが,1996,2000年の総選挙で落選し,政界を引退した。 (引用元 コトバンク)