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エドワード7世Edward VII

イギリス国王[イギリス]

1910年 5月6日 死去享年70歳

エドワード7世 - ウィキペディアより引用

『エドワード7世 (イギリス王)』より : エドワード7世(英語: Edward VII、アルバート・エドワード、英語: Albert Edward、1841年11月9日 - 1910年5月6日)は、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代イギリス国王、インド皇帝(在位:1901年1月22日 - 1910年5月6日)。
母であるヴィクトリア女王の在位が長期に渡ったため、史上最も長くプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)の立場にあった。
在位は1901年から1910年までの10年足らずであったが、その治世は「エドワード朝(Edwardian era)」と呼ばれる。
在位中は1905年まで保守党(ソールズベリー侯爵とバルフォア)、その後は自由党(キャンベル=バナマンとアスキス)が政権を担当した。
彼の治世下に日英同盟、英仏協商、英露協商が締結され、日本・フランス・ロシアとの関係が強化されたため、「ピースメーカー」と呼ばれた。
王妃はデンマーク国王クリスチャン9世の娘アレクサンドラ(愛称アリックス)。
1841年11月9日、ヴィクトリア女王とその王配アルバート公子の第2子(長男)として生まれる。

エドワードななせいEdwardVII [生]1841.11.9.ロンドン[没]1910.5.6.ロンドンイギリス王(在位1901~10)。ビクトリア女王の長男。1863年デンマーク王女アレクサンドラと結婚。ビクトリア女王が夫君アルバートの死(1861)後,公式の行事や社交界から身をひいたため,皇太子夫妻がその任を引受けたが,実権は女王が長く保持した。60歳で即位。ハノーバー朝の家名をサックス=コーバーグ=ゴーサ家と改称した。しばしばヨーロッパ諸国を訪問して国際協調に努め,英仏協商(1904),英露協商(07)による三国協商の成立にも貢献した。1909年にはベルリンにドイツ皇帝ウィルヘルム2世を訪れ,イギリス,ドイツ間の緊張緩和に努めた。フランスの保養地ビアリッツから帰国してまもなく気管支炎のため死去。 (引用元 コトバンク)