芸能人・経営者のおくやみ情報

小林多喜二(こばやしたきじ)

作家[日本]

1933年 2月20日 死去拷問享年31歳

小林多喜二 - ウィキペディアより引用

小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日 - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。
生涯 秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)に、小作農家の次男として生まれる。
当時北海道・小樽で苦難の末に事業に成功した伯父が自分の失敗によって傾いた実家の始末を負わせていた弟夫婦(多喜二の両親)への恩返しとして「小樽の学校に通わせたい」と言う提案により長男を移住させていたが間もなく病死。
4歳の時に伯父の計らいによって一家全員で小樽・若竹町の伯父の別宅に移住する。
生活は豊かではなかったが、伯父の工場に住み込みで働く代わりに学資を受け小樽商業学校から小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)へ進学。
在学中から創作に親しみ、絵画や文芸誌への投稿や、校友会誌の編集委員となって自らも作品を発表するなど、文学活動に積極的に取り組んだ。
小樽高商の下級生に伊藤整がおり、また同校教授であった大熊信行の教えを受ける。
この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。

こばやしたきじ [生]1903.10.13.秋田,下川沿[没]1933.2.20.東京小説家。1924年小樽高等商業学校卒業。銀行に勤めながら次第に共産主義運動に近づき,特高警察の拷問と,それに耐える党員労働者の人間像を描いた『一九二八年三月十五日』(1928)で認められ,29年『蟹工船』『不在地主』,30年『工場細胞』などを発表。29年には銀行を解雇され,30年には不敬罪などで入獄,日本プロレタリア作家同盟の書記長に選ばれた31年共産党に入党したが,33年には党活動中再逮捕されて拷問虐殺された。早くから志賀直哉に傾倒して,対象把握の手法を学び,政治運動化したプロレタリア文学の最前衛で,特に集団描写にすぐれたリアリティを完成した。最後まで思想を捨てなかったプロレタリア文学運動の象徴的存在である。その他の著作『党生活者』(33,発表時『転換時代』)など。 (引用元 コトバンク)