芸能人・経営者のおくやみ情報

増村保造 氏

映画監督[日本]

1986年 11月23日 死去脳内出血享年63歳

増村保造 - ウィキペディアより引用

増村 保造(ますむら やすぞう、1924年8月25日 - 1986年11月23日)は、日本の映画監督、脚本家である。
来歴・人物 山梨県甲府市出身。
旧制甲府中学から旧制第一高等学校を経て東京大学法学部を卒業。
東大法学部時代の知人に三島由紀夫がいる。
1947年、大映に助監督として入社。
東京大学文学部哲学科に再入学。
1952年、イタリア留学、フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティらに学ぶ。
帰国後、溝口健二や市川崑の助監督として参加。
1957年、『くちづけ』で監督デビュー。
監督第2作『青空娘』より若尾文子とタッグを組み、『妻は告白する』『清作の妻』『女の小箱・より夫が見た』『赤い天使』『卍』『刺青』などの佳作にして重要な作品群を残す。
また『兵隊やくざ』『陸軍中野学校』と、それぞれ勝新太郎、市川雷蔵の大ヒットシリーズの第1作を監督して大映絶頂期を支えた。
1958年、雑誌『映画評論』3月号において、「ある弁明」という評論を発表。
「自分の映画の方法論は、近代的人間像を日本映画にうちたてるためのものだ」と主張し、当時の巨匠成瀬巳喜男を『日本の社会をそのまま認め、はかなき小市民の「情緒」を描く自然主義的風速映画』と、他に今井正作品を痛烈に批判した。

映画監督。 1924年山梨県甲府市生まれ。 1947年、大映の助監督募集に合格。 1952年イタリア留学を経て、帰国後、溝口健二監督作品、市川崑監督作品に助監督として参加。 1957年『くちづけ』で監督デビューを果たす。 以降、大映で48本の作品を撮影する。 男優では勝新太郎、市川雷蔵、田宮二郎、川口浩、女優では野添ひとみ、安田道代(大楠道代)、岸田今日子、緑魔子など、 大映のスター俳優と組んで数々の傑作を生み出すが、 中でも若尾文子とのコンビ作はその数20に及び、互いの代表作となる作品を何本も作り上げた。 勝プロ、ATGなどでも作品を残し、70年代後半には大映テレビのドラマの演出・脚本なども手掛けた。 1986年、脳内出血のため死去。享年62歳。 (引用元 Hatena Keyword)