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ルネ・クレール 氏

映画監督脚本家、映画プロデューサー[フランス]

1981年 3月15日 死去享年84歳

ルネ・クレール - ウィキペディアより引用

ルネ・クレール (René Clair、本名:ルネ=ルシアン・ショメット、René-Lucien Chomette, 1898年11月11日 - 1981年3月15日) は、フランスの映画監督・脚本家・映画プロデューサーで「詩的レアリスム」(ジョルジュ・サドゥール)の監督といわれる。
1898年11月11日、パリでルネ=ルシアン・ショメットとして生まれ、エミール・ゾラが「パリの胃袋」と呼んだ中央卸売市場のあったレ・アル地区で育った。
その後、リセ・モンテーニュとリセ・ルイ・ル・グランの元で学んだ。
第一次世界大戦では衛生兵として参加して救急車を運転した。
戦後、ルネ・デスプレの名でジャーナリストとなった。
シャンソン歌手のダミアに歌詞を提供したことから、ダミアに紹介されて映画に出演した。
出演した映画にロシアのヤーコフ・プロタザノフ監督の『死の意味』(1921年)、ルイ・フイヤード監督でサンクトペテルブルグ出身のサンドラ・ミロヴァノフ主演の『孤児の娘』(1921年)があり、革命から逃げてきた白系ロシア人たちとの交流が生まれる。

の言及 【クレール】より …フランスの映画作家。映像の実験と詩情と風刺精神が混然一体となった作風で知られ,特異な喜劇作家として映画史に位置を占める。パリに生まれる。本名ルネ・リュシアン・ショメットRenéLucienChomette。《純粋映画の5分間》(1923),《光と速度の戯れ》(1925)などのアバンギャルド映画作家アンリ・ショメット(1891‐1941)は実兄。短編《眠るパリ》(1923)で監督としてデビュー。次いでダダイズム的雰囲気の濃厚な《幕間》(1924)では,マルセル・デュシャン,フランシス・ピカビア,マン・レイ,マルセル・アシャール,エリック・サティらの協力を得て,純粋映画cinémapurと呼ばれた映像の実験の成果を見せた前衛的作品をつくり上げるが,真に国際的な名声を獲得したのはそのトーキー第1作《巴里の屋根の下》(1930)のヒットによってであり,続く《ル・ミリオン》(1931),《巴里祭》(1932)などで視覚的なギャグと音響効果からくる独特の喜劇的世界を築いて注目された。… ※「ルネ・クレール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 (引用元 コトバンク)