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杉浦重剛

思想家[日本]

1924年 2月13日 死去享年70歳

杉浦重剛 - ウィキペディアより引用
  • 題名
    吟詠の友~勝開~
    歌手
    三沢桂子
    発売元
    コロムビアミュージックエンタテインメント
    演奏時間
    発売日
    1993年5月21日
    新品価格
    中古商品

杉浦重剛 1855-1924 杉浦重剛は少年期の裕仁に「ご進講」(つまり学校の先生役)をした人物だ。 明治・大正時代の教育家・思想家。号は梅窓・天台道士。維新後に貢進生として大学南校に入り、制度変更により東京開成学校に学ぶ。明治九年(1876)政府留学生としてイギリスに渡り、化学を学んで同十三年帰国。東京大学理学部博物場掛取締を経て十五年に東京大学予備門長となる。十八年に退いて読売新聞論説に従事。二十年には小村寿太郎らと乾坤社を創設し、井上馨外相の条約改正反対運動に参加。翌年政教社に加わり雑誌『日本人』発刊につくし、国粋主義を唱道。同年文部省参事官兼専門学務局次長となったが、二十三年退官して衆議院議員に当選、大成会に所属したがまもなく脱会し、翌年議員を辞職。この間、新聞『日本』を後援、日本倶楽部に参加、大隈重信外相の条約改正案反対運動に尽力。二十五年から三十七年まで東京朝日新聞論説員。二十三年東京英語学校長となり、二十五年に校名を日本中学校と改め、死に至るまで校長をつとめた。また称好塾を主宰して青少年の教育に力をつくした。また高等教育会議議員・国学院学監・東亜同文書院長・教育調査会会員を歴任したが、大正三年(1914)に東宮御学問所御用掛となって倫理を担当し、同十年に退任。著書『鬼哭子』(明治十七年)で「理学宗」を提唱し、人事の解釈に理学の応用を説いて、国粋主義運動でも異彩をはなった。儒教道徳と近代自然科学の折衷を目ざした教育についての論著が多い。未解放部落民の南洋移住論を提示した『樊?夢物語』(明治十九年)は国権的部落解放論の …… (引用元 Hatena Keyword)