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尾崎一雄 氏

芥川賞作家[日本]

1983年 3月31日 死去享年85歳

尾崎一雄 - ウィキペディアより引用

尾崎 一雄(おざき かずお、1899年(明治32年)12月25日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、日本の小説家。
来歴・人物 実家は祖父の代まで神奈川県小田原市の宗我神社の神官を務めた一族だが、父の赴任先の三重県宇治山田町(現・伊勢市)で生まれる。
16歳で志賀直哉の『大津順吉』を読んで感動し、作家を一生の仕事にしようと決心する。
神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、早稲田高等学院を経て、早稲田大学文学部国文科卒業。
政治家河野一郎とは早稲田大学も含め同級生であった。
学生時代に肺病を患ったことから、憧れの志賀直哉に一刻も早く会いたいという気持ちになり、志賀の親戚という同級生に紹介を頼み、志賀に師事する。
山口剛や窪田空穂の影響を受けた。
早稲田時代から古本収集をしており、多くの文芸書の初版・限定本を得たが貧窮した時期に売ってしまった。
1925年、同人雑誌『主潮』に『二月の蜜蜂』を発表し、1枚2円50銭という破格の原稿料を手にする。
新進作家として注目されたが、5年に渡って停滞期を送る。
その理由として本人は、全盛であったプロレタリア文学に圧迫され締め出されたこと、志賀のようになりたいと頑張ってきたがスタミナ切れで息切れしたことを挙げている。

おざきかずお [生]1899.12.25.三重,宇治山田[没]1983.3.31.小田原小説家。神官の子に生れ,意見の違う父の死後,法政大学から早稲田高等学院に移り(1920)文学活動に入った。1923年私淑していた志賀直哉を初めてたずね,翌年早稲田大学国文科に進んだのち志賀に近い作風の『二月の蜜蜂』(25)を書き好評を得た。27年早大卒業後プロレタリア文学の興隆に押されて行きづまり,貧困と沈滞の生活をおくったが,31年山原松枝との結婚が再起の契機となり,第1創作集『暢気眼鏡(のんきめがね)』(33)によって37年芥川賞を得た。これは無邪気で快活な妻をモデルにしたいわゆる「芳兵衛もの」の短編集で,そのユーモラスな言動で貧乏を笑い飛ばすヒロインの野性味,自在な語りくち,神経の行届いた筆致によって独自の境地を開いた。第2次世界大戦中は諸病相次ぎ危篤を伝えられたこともあったが,戦後「生存五ヵ年計画」を立てて復帰し,虫の観察に託して病中の死生観を吐露した名作『虫のいろいろ』(48)を書いた。ほかに『まぼろしの記』(61),『あの日この日』(70~73)など。64年芸術院会員。78年文化勲章受章。 (引用元 コトバンク)