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ヨジップ・クゼ 氏

サッカー選手、監督[クロアチア]

(JリーグのG大阪・千葉で指揮)

2013年 6月16日 死去白血病享年62歳

ヨジップ・クゼ、ヨシップ・クジェ(Josip Kuže, 1952年11月13日 -2013年6月16日 )は、クロアチア出身のサッカー選手、サッカー指導者。
発音はクジェ。
現役時代はDFとしてユーゴスラビアU-21代表に選出。
ユーゴスラビアリーグでは382試合に出場した。
主にクロアチアの名門ディナモ・ザグレブでプレーした。
当時の同僚にはズラトコ・クラニチャールらがいる。
引退後、ユーゴスラビアやドイツでコーチや監督を歴任。
ガンバ大阪コーチ・監督時代 その後、ドイツ時代の知人であったジークフリート・ヘルトの依頼で1995年にガンバ大阪のトップコーチに就任。
翌1996年には成績不振を理由にヘルトが解任されると、監督に昇格。
それまでの戦術から堅守速攻のスタイルに切り替え、宮本恒靖や当時高校生だった稲本潤一ら若手を抜擢して先発メンバーに起用した。
1997年の2ndステージにはパトリック・エムボマの活躍でそれまでの最高順位であるリーグ戦2位という成績を記録。

クロアチア出身のサッカー選手、サッカー指導者。1952年11月13日、クロアチア生まれ。現役時代は主に名門クラブ「ディナモ・ザグレブ」でプレーし382試合に出場、14ゴールを決めた。現役引退後、82年に「シドニー・クロアチア」のコーチとして指導者の道を歩み始め、86年からはユーゴスラビアの「ディナモ・ザグレブ」ユース監督となる。92~95年、ドイツの「1.FSVマインツ」監督などを経て、96年「ガンバ大阪」の監督に就任。97年、同チームの最高順位であるリーグ戦2位となった。同年、ガンバ大阪を退団しクロアチアに帰国。2003年、クロアチアで監督として現役復帰し、05~06シーズンに「ディナモ・ザグレブ」をトップリーグ優勝に導いた。08年、「ジェフユナイテッド市原・千葉」の監督に就任したが最下位となり、09年5月に解任。12年には中国サッカー・スーパーリーグの「天津泰達」監督に就任しアジア・チャンピオンズリーグに出場。その後、白血病により闘病生活をおくり、13年6月16日に死去した。享年60。 (2013-6-19) (引用元 コトバンク)

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