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イエン・サリ 氏

政治家、旧ポル・ポト政権の元副首相兼外相[カンボジア]

2013年 3月14日 死去享年88歳

イエン・サリ - ウィキペディアより引用

イエン・サリ(クメール語: អៀង សារី / Ieng Sary, 1925年10月24日 - 2013年3月14日)は、カンボジアの政治家。
民主カンプチア政権で副首相、外相を歴任。
死去するまでクメール・ルージュ内部で第3位の地位にあったといわれる。
イエン・サリは1925年、フランス領インドシナ、コーチシナのカンボジア系少数民族の裕福な地主の家に生まれた。
誕生時の名はキム・チャン (Kim Trang) で、父親が亡くなり、プレイベン州の親類に引き取られた時に、イエン・サリと名付けられた。
当時の最高学府であるシソワット高校に進学し、そこで妻となるイエン・シリトと出会う。
1951年からパリに留学し、同年現地において結婚した。
シリトの姉キュー・ポナリーが、後にポル・ポトと結婚すると、サリとポル・ポトは義兄弟となる。
1957年に帰国し、その後は私立カンブボット高校において教鞭をとり。
1960年9月のクメール人民革命党第2回党大会において党中央委員に選出され、党内序列第5位となった。

IengSary [生]1925.10.24.フランス領インドシナ,ベトナム[没]2013.3.14.カンボジア,プノンペンカンボジアの政治家。プノンペンで学び,1950年フランスへ留学,共産党に入党。1958年帰国後カンポート私立大学教授。1963年反政府運動のため地下に潜行し,闘争の中心人物の一人となった。1971年7月カンプチア民族統一戦線特使として中国の北京に入り,ノロドム・シアヌークの特別顧問として行動。1976年4月,ポル・ポトが率いる民主カンプチアの外交担当副首相に就任。1979年ベトナム支援下のカンプチア救国民族統一戦線に首都を奪われると,タイ国境周辺で抵抗運動を続行,ヘン・サムリン政権より大量虐殺の罪でポル・ポトとともに死刑判決を受けた(1996恩赦)。共産党中央常任委員。1980年副首相に再任。1982年民主カンプチア連合政府(→カンボジア国民政府)が樹立し財政経済調整委員会委員となる。長年にわたり赤いクメールのナンバー3であったが,1996年離脱,多数の兵士とともに投降した。2007年に大量虐殺などの罪で当局に妻とともに身柄拘束され,カンボジア特別法廷で起訴されたが公判途中に死亡した。 (引用元 コトバンク)

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