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斎藤一(さいとうはじめ)

新撰組隊長、警察官[日本]

1915年 9月28日 死去胃潰瘍享年72歳

斎藤一 - ウィキペディアより引用

斎藤 一(さいとう はじめ、1844年2月18日(天保15年1月1日) - 1915年(大正4年)9月28日)は、日本の武士(新選組隊士)、警察官。
階級は警部。
勲等は勲七等青色桐葉章。
幕末期に新選組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務める。
一時期御陵衛士に入隊。
戊辰戦争では旧幕府軍に従い新政府軍と戦う。
明治維新後警視庁の警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。
退職後、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の守衛、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛を務める。
出自、経歴は不明な点も多い。
生涯 出自 父・山口祐助、母・ますの三子として生まれる。
姉に勝(ひさ)、兄に廣明。
出身地は江戸とされる。
播磨国ともいわれるが、父が明石出身であったことから明石浪人を名乗ったようである。
会津出身と書かれた資料もあるが、疑問視されている。
父・祐助は播磨国明石藩の足軽であったが、江戸へ出て石高1,000石の旗本・鈴木家の足軽となった。

新選組三番隊隊長。 天保15年(1844)1月1日(2日とも)〜大正4年(1915)9月28日。享年71歳。 本名:山口一。別名:山口二郎*1、一戸(いちのへ)伝八*2、藤田五郎*3 幕臣の家に生まれた。父・祐助、兄・広明、姉・お勝。 明石出身と言われているが、これは父が明石藩の足軽出身であったためと思われる。 安政5年(1858)14歳で元服。この頃より、会津藩江戸屋敷にある道場で一刀流(溝口一刀流)を学んだ。 19歳の時に誤って人を斬り殺してしまい、江戸にいられなくなり京都へ逃げたとも言う。 文久3年、20歳に浪士隊で上洛してきた近藤と接触、新選組に入る。 結成当初から重要な役についたり、伊東についてスパイをしたり、敵のためにも働いた形跡があるなど、謎の多い人物でもある。 維新後は、松平容保の媒酌で藩の名門の娘・時尾と結婚。 藤田五郎という名は松平容保から授かったもの。 川路大警視との縁で警視庁に勤め、警部補に。西南戦争に出陣。負傷。 会津人藤田五郎として一生を終えた。 死因は胃潰瘍。 会津の阿弥陀寺(「七日町」駅前)に墓がある。この寺には、「賊軍」としてなかなか埋葬を許されなかった(最終的には疫病発生を防ぐため)東軍の墓地もある。 (引用元 Hatena Keyword)