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大山綱良(おおやまつなよし)

薩摩藩士政治家[日本]

1877年 9月30日 死去斬首享年53歳

大山綱良 - ウィキペディアより引用

大山 綱良(おおやま つなよし、文政8年11月6日(1825年12月15日) - 明治10年(1877年)9月30日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。
文政8年(1825年)、樺山善助の次男として鹿児島に生まれる。
幼名は熊次郎。
嘉永2年(1849年)12月26日に大山四郎助の婿養子となる。
通称は正圓、角右衛門、格之助。
大山氏の本姓は宇多源氏で、養子先の家伝では佐々木盛綱の子孫である康綱の後裔を称するが明確ではない。
西郷隆盛、大久保利通らとともに精忠組に所属。
島津久光の上洛に随行し、文久2年(1862年)の寺田屋事件では、奈良原喜八郎らとともに過激派藩士の粛清に加わり、事件の中心的役割を果たした。
特に寺田屋2階には大山巌・西郷従道・三島通庸らがいたが、皆で説得を行った結果、投降させることに成功した。
明治元年(1868年)の戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督府の下参謀になった(もう一人の下参謀は仙台藩に処刑された長州藩士、世良修蔵)。
大山率いる新政府軍は庄内戦線において、庄内藩の反撃にあい連戦連敗を喫するが、戦後、新政府から賞典禄を受けた。

日本の江戸時代末期の薩摩藩士。明治時代の政治家。 戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督府の下参謀として活躍。その後、初代鹿児島県令などを歴任した。しかし、西南戦争では西郷軍に官金を提供し、西郷軍の敗北後、その罪を問われて逮捕され東京へ送還された後に長崎で斬首された。 (引用元 Hatena Keyword)