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脇坂安董

播磨龍野藩主、老中[日本]

(天保12年2月24日没)

1841年 4月15日 死去享年74歳

脇坂 安董(わきさか やすただ) は、江戸時代後期の大名、寺社奉行、老中。
播磨龍野藩第8代藩主。
龍野藩脇坂家10代。
生涯 7代藩主脇坂安親の次男として生まれ、兄・安教が早世したため嫡子となる。
天明4年(1784年)、父の隠居により家督を相続した。
その後、寺社奉行を都合2度、さらには老中を務めた。
脇坂家は元外様大名であり、願い譜代に直してもらった家柄ではあったが、外様の家系は幕府の重要な役職には就けないのが慣例であった。
しかし安董は弁舌が爽やかで、押し出しも良く男ぶりも良かったといわれ、これが将軍家斉の目にとまり、異例のことながら寛政3年(1791年)に寺社奉行に登用された。
この間、安董は谷中延命院一件、三業惑乱の両事件を裁いている。
谷中延命院一件 「谷中延命院一件」は、大奥女中を巻き込んだ女犯スキャンダル事件である。
当時の延命院住持は日潤といい、歌舞伎役者初代尾上菊五郎の隠し子だと言われるが、異説もある。
この日潤が多数の大奥女中と密通しているという噂が飛び、享和3年(1803年)、安董は女密偵を使って慎重に内偵を進め、5月26日みずから延命院に踏み込んで日潤ら破戒坊主を検挙、日潤は7月29日に死刑に処された。