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安宅冬康

戦国武将[日本]

(永禄7年5月9日没)

(ユリウス暦) 1564年 6月17日 死去自害享年37歳

安宅冬康 - ウィキペディアより引用
安宅 冬康(あたぎ ふゆやす)は、戦国時代の武将。
三好氏の家臣。
三好元長の三男。
安宅氏へ養子に入り淡路水軍を統率し、三好政権を支えたが、兄・三好長慶によって殺害された。
経緯・理由については様々な見解があり不明な部分が多い。
生涯 享禄元年(1528年)、細川晴元の重臣・三好元長の三男として生まれる。
兄に三好長慶、三好実休、弟に十河一存、野口冬長がいる。
安宅氏は淡路国の水軍衆である。
長兄の長慶は当時、細川氏などによって畿内を追われ淡路島にいた。
長慶は冬康をこの安宅氏の当主・安宅治興の養子にして家督を継承させた。
穏やかで優しい仁慈の将であり、人望が高かったという以降、三好家は長兄の長慶が摂津・河内・和泉の兵を、次兄の三好実休が阿波衆を、冬康が淡路衆を、弟の十河一存が讃岐衆を率いるという体制で各地を転戦した。
冬康は大阪湾の制圧や永禄元年(1558年)の北白川の戦い、永禄5年(1562年)3月の畠山高政との戦い(久米田の戦い)に従軍、特に畠山高政との戦いでは次兄の実休が敗死すると冬康は阿波に撤退して再起を図り、6月には再び高政と河内で戦い勝利している(教興寺の戦い)。