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山内容堂

土佐藩主[日本]

(明治5年6月21日没)

1872年 7月26日 死去脳溢血享年46歳

山内容堂 - ウィキペディアより引用

山内 容堂 / 豊信(やまうち ようどう / とよしげ)は、幕末の外様大名。
土佐藩15代藩主(在任期間:嘉永元年12月27日(1827年1月21日) - 明治5年(1872年)2月)。
官位は、従四位下・土佐守・侍従、のちに従二位・権中納言まで昇進、明治時代には麝香間祗候に列し、生前位階は正二位まで昇った。
薨去後は従一位を贈位された。
諱は豊信。
隠居後の号は容堂。
土佐藩連枝の山内南家当主・山内豊著(12代藩主・山内豊資の弟)の長男。
母は側室・平石氏。
正室は烏丸光政の娘・正子(三条実万の養女)。
子は山内豊尹(長男)、光子(北白川宮能久親王妃)、八重子(小松宮依仁親王妃のち秋元興朝継室)。
幼名は輝衛。
酒と女と詩を愛し、自らを「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と称した。
藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される一方で、当時の志士達からは、幕末の時流に上手く乗ろうとした態度を、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。
藩主就任まで 文政10年(1827年)生まれ。