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真木和泉(まきいずみ)

久留米藩士[日本]

(「蛤御門の変」で破れ天王山で自害、元治元年7月21日没)

1864年 8月22日 死去自害享年52歳

真木和泉 - ウィキペディアより引用
『真木保臣』より : 真木 保臣(まき やすおみ、文化10年3月7日(1813年4月7日) - 元治元年7月21日(1864年8月22日))は、江戸時代後期の久留米水天宮祠官、久留米藩士、尊皇攘夷派の活動家。
父は真木旋臣、母は中村柳子。
神官として従五位下・和泉守の官位を持ち、真木和泉守もしくは真木和泉、真木和泉守保臣として知られる。
雅号は紫灘(したん)。
贈正四位。
生涯 筑後国久留米(福岡県久留米市)の、水天宮の神職の家に生まれる。
文政6年(1823年)に神職を継ぎ天保3年(1832年)に和泉守に任じられる。
国学や和歌などを学ぶが水戸学に傾倒し、弘化元年(1844年)、水戸藩へ赴き会沢正志斎の門下となり、その影響を強く受け水戸学の継承者として位置づけられる。

この関東遊歴により水戸では鹿島神社の小川修理、日下部伊三治と国事を論じ、江戸では安井息軒、塩谷宕陰、橘守部といった名士と交わった。
弘化4年(1847年)9月23日、野宮定祥・定功父子により孝明天皇の即位の大礼を拝観したことで尊王の志を更に強くするに至った。