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田中光顕(たなかみつあき)

土佐藩士政治家、伯爵[日本]

1939年 3月28日 死去享年97歳

田中光顕 - ウィキペディアより引用
田中 光顕(たなか みつあき、1843年11月16日(天保14年閏9月25日) - 1939年(昭和14年)3月28日)は、日本の武士・土佐藩家老深尾氏家臣、官僚、政治家。
栄典は従一位勲一等伯爵。
初名は浜田辰弥。
通称を顕助、号は青山。
フリーカメラマンの田中光常は孫。
生涯 天保14年(1843年)閏9月25日、土佐藩の家老深尾家々臣である浜田金治と金沢正敏の娘である献の長男として、土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)に生まれた。
土佐藩士武市半平太の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加した。
叔父の那須信吾は吉田東洋暗殺の実行犯だが、光顕も関与した疑いもある。
しかし文久3年(1863年)、同党が八月十八日の政変を契機として弾圧されるや謹慎処分となり、翌元治元年(1864年)には同志を集めて脱藩。
のち高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。
第一次長州征伐後に大坂城占領を企図したが、新撰組に摘発されたぜんざい屋事件を起こして大和十津川へ逃れる。
薩長同盟の成立に貢献して、薩摩藩の黒田清隆が長州を訪ねた際に同行した。