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トラヤヌス

ローマ皇帝[ローマ帝国]

(ユリウス暦) 0117年 8月9日 死去享年歳

トラヤヌス - ウィキペディアより引用

マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス(ラテン語:Marcus Ulpius Nerva Trajanus Augustus マールクス・ウルピウス・ネルウァ・トライヤーヌス・アウグストゥス、53年9月18日 - 117年8月9日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:98年 - 117年)で、ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝である。
文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。
特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。
イタリア本土出身者でない、初の属州生まれの皇帝でもある。
それまでは、首都ローマを含むイタリア本土出身者の最上流貴族しか皇帝に選ばれたことはなかった。
トラヤヌスは同時代から現在に至るまで優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝であり、後世の君主たちからも讃えられた。
古代末期から中世にかけてのキリスト教史観でもこの名声は維持され、近代においてもギボンが「五賢帝」の一人として彼を賞賛している。

Traianus,MarcusUlpius [生]53.イタリカ[没]117.8.8/9.キリキアローマ皇帝(在位98~117)。五賢帝の一人。ヒスパニアの出身。88~89年ライン地方のサツルニヌスの乱を討ってドミチアヌス帝に認められ,次帝ネルウァの登位後,上ゲルマニア総督となり,97年ローマに近衛兵の反乱が起ったとき,ネルウァの養子としてその後継者となった。即位後は穏健な政治を行い,元老院を尊重,政策を諮問し,自身国家のしもべとして人民にも寛大であろうとした。ローマに大建築物を造営,競技を開催し,荒地開拓,港湾建設を行なった。キリスト教徒に対しては過度の弾圧を禁じた。元老院は彼にオプチムス(最良者)の称号を与えたが114年まで固辞し続けた。対外政策も積極的で,ダキアを属州としアラビア,パルティア,ドナウを征討し,ブリタニアから黒海にいたる北部国境を安定させ,ローマ帝国の最大版図を現出させた。113~117年パルティアを討ち,アルメニア,北メソポタミアを属州とし,パルティアの主都クテシフォンを陥れチグリス川を下ってペルシア湾に達したが,征服したばかりのパルティアなどの反乱およびキレナイカからエジプト,さらにキプロス,アジアまで広がったユダヤ人の大反乱にあった。一時は戦線を回復したものの重病にかかり,東方地域の管理をハドリアヌスにゆだねた。ローマへの帰途陣没した。 (引用元 コトバンク)

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