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三条公教

公卿、内大臣[日本]
(永暦元年7月9日没)
三条公教 - ウィキペディアより引用
三条 公教(さんじょう きみのり/さんじょう きんのり)は、平安時代後期の公卿。
藤原北家閑院家流三条家当主。
太政大臣三条実行の子。
正二位・内大臣。
母方の祖父藤原顕季の引き立てで13歳で鳥羽天皇の侍従となった公教は、天皇が寵愛する従兄弟の美福門院(顕季の孫娘)との関係を利用して31歳の若さで参議として公卿に列した。
退位して院政を開始した鳥羽法皇も公教の質実で勤勉な態度を高く評価して院庁の執事別当として裁判・行政の中枢を任せた。
久寿2年(1155年)、美福門院所生の近衛天皇が急死すると、権大納言であった公教は鳥羽法皇・関白藤原忠通らごく数人と秘密裏に会議を開き、近衛天皇の異母兄雅仁親王(後白河天皇)の即位を決定した。
翌年鳥羽法皇の崩御直後に保元の乱が起こると、公教は忠通・信西とともに後白河天皇の傍に近侍した。
乱で天皇方が勝利すると、延期されていた鳥羽法皇の葬儀を執り行い、また信西の勧める記録所復興に賛同してその長官に就任した。
これらの功績が評価されて保元2年(1157年)に内大臣(前年任ぜられた左大将を兼務)に就任している。

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