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藤原得子

鳥羽法王の寵妃[日本]

(近衛天皇の生母、院号・美福門院、永暦元年11月23日没)

(ユリウス暦) 1160年 12月22日 死去享年44歳

藤原得子 - ウィキペディアより引用

『美福門院』より : 藤原 得子(ふじわら の なりこ、永久5年(1117年)- 永暦元年11月23日(1160年12月22日))は、鳥羽天皇の譲位後の寵妃。
近衛天皇の生母。
女御、皇后、女院。
藤原北家末茂流(藤原魚名の後裔)の生まれ。
父は権中納言・藤原長実(贈太政大臣)、母は左大臣・源俊房の女、方子。
院号は美福門院(びふくもんいん)。
生涯 永久5年(1117年)に生まれ、父の鍾愛を一身に受けて育った。
長実は「ただ人にはえゆるさじ(並みの人には嫁がせる気になれない)」と語り(『今鏡』)、臨終の間際には「最愛の女子一人の事、片時も忘るゝなし」と落涙したという(『長秋記』長承2年8月13日条)。
父である長実は、祖母に当たる藤原親子(ちかこ)が白河上皇の乳母であったことから恩恵を蒙り、白河院政期には院の近臣として活躍した人物である。
父の死後は二条万里小路亭で暮らしていたが、長承3年(1134年)に鳥羽上皇の寵愛を受けるようになり、保延元年(1135年)12月4日に叡子内親王を出産する。