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山東京伝(さんとうきょうでん)

浮世絵師、戯作者[日本]

(文化13年9月7日没)

1816年 10月27日 死去享年55歳

山東京伝 - ウィキペディアより引用

山東 京伝(さんとう きょうでん、宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日))は、江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。
寛政の改革における出版統制により手鎖の処罰を受けた。
本名は岩瀬醒(いわせ さむる、初めの名は田臧(のぶよし))。
一説に排田または灰田。
狂歌名を身軽折輔と号した。
幼名は甚太郎。
通称は京屋伝蔵または田蔵。
字は伯慶。
後に酉星(有儕)。
山東庵、山東窟、山東軒、珊洞散士、鼯鼠翁、臍下逸人、洛橋陳人、甘谷、菊亭、菊軒、菊花亭と号す。
江戸・深川の出身。
父は岩瀬伝左衛門。
妹きぬ、弟・相四郎、合巻作者の山東京山は実弟。
黄表紙・狂歌作者の黒鳶式部(実名よね)は実妹。

錦絵はほぼ天明年間に集中し、寛政3年以降の京伝の作品はほとんど蔦屋重三郎・鶴屋喜右衛門が版元となっている。
京伝の合巻は特に挿絵の面白さが魅力で、大変な人気を誇っていた。
考証的な仕事、風俗絵巻も残している。
弟子には山東鶏告(さんとうけいこう)・山東唐洲らがいるが、後に曲亭馬琴の入門を断ったように弟子は取らなくなった。

江戸時代の戯作者・浮世絵師。 曲亭馬琴とも交流がありライバル関係にあった。 軽妙で粋な作風で知られるが、寛政3(1791)年、風紀を乱すとして手鎖の刑を受ける。 妻は元遊女の菊園(お菊)。同じく創作をしていた弟に山東京山、妹に黒鳶式部(早世)がいる。 (引用元 Hatena Keyword)

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