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岩瀬忠震(いわせただなり)

幕臣[日本]

(文久元年7月11日没)

1861年 8月16日 死去享年44歳

岩瀬忠震 - ウィキペディアより引用

岩瀬 忠震(いわせ ただなり)は、江戸時代後期の幕臣、外交官である。
列強との折衝に尽力し、水野忠徳、小栗忠順と共に「幕末三俊」と顕彰された。
維新後に正五位を贈られた。
島崎藤村の「夜明け前」にも登場する。
生涯 旗本・設楽貞丈の三男として、江戸芝愛宕下西久保で生まれる。
血縁をたどると、麻田藩主青木一貫の曾孫、宇和島藩主伊達村年の玄孫であり、男系で伊達政宗の子孫にあたる。
母は林述斎(林家の大学頭)の娘で、おじに鳥居耀蔵、林復斎、従兄弟に堀利煕がいる。
天保11年(1840年)5月岩瀬忠正の婿養子となり、岩瀬家(家禄800石)の家督を継いだ。
天保14年(1843年)昌平坂学問所大試乙科に合格、成績が優秀だったため褒美を受ける。
嘉永2年(1849年)2月部屋住みより召し出されて西丸小姓番士となり(切米300俵)、同年11月徽典館学頭を命じられ(手当として30人扶持)、翌年甲府へ出張、この時阿部正弘より時服を拝領している。

幕末期の幕臣・政治家(1818-1861.07.11). 父は設楽貞丈(しがらさだとも),岩瀬家の養子.肥後守. 老中阿部正弘に抜擢され,1854(安政元)年に目付となる.その後海防掛などを兼務し,台場築造・大筒大船製造・軍制改革にあたる. 56(安政3)年にハリスが来日すると,交渉全権となる.58年に老中堀田正睦と上京したが,条約勅許を得られないままに,日米修好通商条約を締結.新設の外国奉行となり,蘭・露・英・仏各国といわゆる安政の五カ国条約を締結する際の全権となった.一橋派であったため,同年作事奉行に左遷され,翌59年に差控となる. 小栗忠順・水野忠徳とともに「幕末三傑」もしくは「幕末三俊」と称された. (引用元 Hatena Keyword)