芸能人・経営者のおくやみ情報

道光帝

清朝第8代皇帝[清]

(道光30年1月14日没)

1850年 2月25日 死去享年歳

道光帝 - ウィキペディアより引用

道光帝(どうこうてい)は、清の第8代皇帝。
諱ははじめ綿寧(めんねい)、即位後に旻寧(びんねい)と改めた。
廟号は宣宗(せんそう)。
在世時の元号の道光を取って道光帝と呼ばれる。
生涯 嘉慶年間よりイギリスからのアヘン密輸が激増し、国内で中毒患者が増加した。
皇族の中にもアヘンが蔓延し、健康面でも風紀面でもその害は甚だしいものがあった。
またアヘンの輸入増加によりそれまで清の大幅な黒字だった対英貿易が赤字に転落し、国内の銀が国外へ流出する事で国内の銀相場は高騰した。
当時の清では日本の三貨制度と同様に銀貨と銅銭が混用されていたため、物価体系に混乱を来した。
例えば徴税は主に銀で行われていたため、銭貨で見ると実質的な増税となった。
道光18年(1836年)、道光帝は林則徐を欽差大臣に任命し、アヘン密輸取締りを命じた。
翌年、林則徐は断固たる態度で禁輸に望み、商人たちのアヘンを没収しこれを焼き払った。
道光22年(1840年)、怒ったイギリスのアヘン商人は広州を攻撃し、イギリス本国も艦隊を出して清を攻撃した(アヘン戦争)。

どうこうていDao-guang-di;Tao-kuang-ti [生]乾隆47(1782).8.10.北京[没]道光30(1850).1.14.北京中国,清朝の第8代皇帝(在位1820~50)。名は旻寧。諡は成皇帝。廟号は宣宗。年号は道光。嘉慶帝の次子。天理教の乱の平定で智親王に封じられ,嘉慶帝の皇太子密建法により即位。鉱山開発の奨励など混乱した財政の建直しに努力したが,イギリスのアヘン貿易とそれに伴う銀の国外流出と経済の破綻は著しく,「反清復明」を号する秘密結社の活動と相まって社会不安が増大した。このため林則徐を中心としてアヘン取締りの強化を実施したが,それはアヘン戦争とその敗北,南京条約による開国へといたり,これらは中国植民地化の第一歩であり,その末年には太平天国の乱もあって混乱が激化した時代であった。 (引用元 コトバンク)

「道光帝」と関連する人物(故人)