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北杜夫 氏(きたもりお)

作家[日本]

(「どくとるマンボウ」「楡家の人びと」など)

2011年 10月24日 死去享年85歳

北杜夫 - ウィキペディアより引用

北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉(さいとう そうきち)、1927年5月1日 - 2011年10月24日)は、日本の小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。
祖父は医師で政治家の斎藤紀一。
父は紀一の養子で、歌人で医師の斎藤茂吉。
兄はエッセイストで精神科医の斎藤茂太。
娘はエッセイストの斎藤由香。
生い立ち 東京市赤坂区青山南町(現在の東京都港区南青山)に、母・斎藤輝子、父・茂吉の次男として生まれた。
生家は母・輝子の実父・斎藤紀一が創設した精神病院「青山脳病院」であった。
少年時代は昆虫採集に深く熱中する日々を送り、文学には興味を抱かなかった。
青南小学校では4年まで金免状の優等生だったが、病欠で5年から劣等生となり、府立一中の受験を断念した。
麻布中学時代の成績は259人中6番であった。
麻布では不良グループの1人につきまとわれ、手の指の間に指を挟まれて締めつけられるなどのいじめを受けた。
国語で、勝俣久作の指導を受けた。
部活動では博物班に入り、当時部長であったフクロウこと橋本碩の指導を受け昆虫採集にのめり込んでいった。

大河小説「楡家の人びと」やユーモアあふれるエッセー「どくとるマンボウ」シリーズなどで知られる作家で元精神科医の北杜夫(きた・もりお、本名斎藤宗吉=さいとう・そうきち)さんが24日死去した。84歳だった。葬儀は近親者で行う。 アララギ派の歌人で精神科病院を経営する斎藤茂吉の次男として東京に生まれた。旧制松本高校時代にトーマス・マンの作品や父茂吉の歌集を読んで文学に心酔。東北大医学部在学中から小説を書き始め、卒業後は慶大病院に勤務の傍ら、同人誌「文芸首都」に参加した。 1958年から59年にかけて水産庁調査船の船医としてアジアから欧州を航海。その体験を記した60年のエッセー「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーになった。 同年、ナチスドイツに抵抗して患者を救おうと苦悩する精神科医を描いた「夜と霧の隅で」で芥川賞受賞。斎藤家をモデルに精神科病院一族の歴史を描いた64年の「楡家の人びと」で毎日出版文化賞を受賞。純文学作品の一方で、「怪盗ジバコ」「さびしい王様」などのユーモア小説や「船乗りクプクプの冒険」などの児童文学作品も発表し、若い世代を中心に人気を集めた。 自身のそううつ病(双極性障害)の病状をエッセーで面白おかしくつづったほか、熱烈な阪神タイガースファンとしても知られた。96年から日本芸術院会員。兄は精神科医の故斎藤茂太さん。長女はエッセイストの斎藤由香さん。 (2011/10/26-11:41)

きたもりお [生]1927.5.1.東京,東京[没]2011.10.24.東京作家。本名は斎藤宗吉。歌人斎藤茂吉の二男として生まれ,東北大学医学部を卒業後,慶應義塾大学病院助手を経て長兄経営の斎藤神経科病院に勤務,かたわら小説の執筆を行ない,ナチス支配下のドイツの精神科医の悲劇を描いた『夜と霧の隅で』(1960)で芥川賞を受賞。水産庁のマグロ調査船の船医としての経験を描いた『どくとるマンボウ航海記』(1960)に始まる「どくとるマンボウ」シリーズで豊富な知識と警抜な観察を軽妙な筆致で綴り,多くの読者を集めた。また『楡家の人々』(1964,毎日出版文化賞)では父を中心とする生家3代の命運を重厚な構成で描いている。その後も『木精』(1975),『輝ける碧き空の下で』(1982,日本文学大賞)などの作品を発表した。ほかに,『北杜夫全集』(全15巻,1976~77)など。1998年に『青年茂吉』(1991),『壮年茂吉』(1993),『茂吉彷徨』(1996),『茂吉晩年』(1998)の茂吉評伝4部作で大佛次郎賞を,2001年海洋文学大賞特別賞を受賞した。1996年日本芸術院会員。 (引用元 コトバンク)