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沢田教一 氏(さわだきょういち)

戦場カメラマン[日本]

1970年 10月28日 死去射殺享年35歳

沢田教一 - ウィキペディアより引用

沢田 教一(さわだ きょういち、1936年2月22日 - 1970年10月28日)は、日本の報道写真家。
ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞を受賞した。
1936年(昭和11年)2月22日 - 青森県青森市寺町(現青森市橋本)生まれ。
父は郵便局員。
13歳の時新聞配達のアルバイトをし600円のボックスカメラを買ったのが写真との出会いであった。
1948年(昭和23年) - 青森市立沖館中学校に入学し、英語教師から写真技術の手ほどきを受けた。
また新品のミノルタ製6×6cm判カメラを譲られた。
1951年(昭和26年) - 青森県立青森高等学校入学。
同級には寺山修司がおり、授業をさぼって一緒に映画を見に行くこともあったが、特に親しい間柄ではなかったという。
1954年(昭和29年) - 高校卒業。
1955年(昭和30年) - 青森市の小島写真店にアルバイトとして就職。
間もなく三沢基地内の分店に移った。
働きながら写真技術を習得するとともに店主で写真家の小島一郎の影響を受けた。

さわだ-きょういち 1936-1970昭和時代後期の報道写真家。昭和11年2月22日生まれ。36年UPI通信社東京支局に入社。ベトナム戦争時にサイゴン支局に勤務。41年ベトナム人母子を撮影した「安全への逃避」でピュリッツァー賞。昭和45年10月28日プノンペン南方でゲリラに銃撃され,死去。34歳。翌年写真集「泥まみれの死」が刊行された。青森県出身。青森高卒。【格言など】あとしばらくいたら「まとまった仕事」ができると思っています(死の1ヵ月前,妻へあてた手紙) (引用元 コトバンク)