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渓斎英泉

浮世絵師[日本]

(嘉永元年7月22日歿)

1848年 8月20日 死去享年59歳

渓斎英泉 - ウィキペディアより引用

渓斎 英泉(けいさい えいせん、寛政3年(1791年)- 嘉永元年7月22日(1848年8月20日))とは、江戸時代後期に活躍した日本の浮世絵師。
画号は渓斎、国春楼、北亭、小泉、涇斎。
亭号としては一筆庵(いっぴつあん)、旡名翁(むめいおう)、楓川市隠など数種類ある。
戯作者としては可候(かこう)を名乗る。
独自性の際立つ退廃的で妖艶な美人画で知られ、春画と好色本にも作品が多い。
その一方で名所絵(風景画)も知られており、「木曽街道六十九次」では歌川広重と合作している。
江戸市中の星ヶ岡(現・千代田区永田町山王あたり)に、下級武士の子として生まれた。
本姓は松本であったが、父の政兵衛茂晴が池田姓に復して以後、池田を名乗る。
本名は義信。
字(あざな)は混聲。
俗称善次郎、のちに里介と名乗る。
6歳で実母を失っている。
狩野派、仕官、狂言作者見習い 12歳から狩野典信の弟子という狩野白桂斎(かのうはっけいさい)に画技を学ぶ。
15歳に元服を機に、16か17歳で安房国北条藩の水野忠韶の江戸屋敷に仕官するも侍奉公には不向きだったか、17歳の時に上役と喧嘩沙汰となり、讒言によって職を追われている。

けいさいえいせん [生]寛政2(1790)/寛政3(1791).江戸[没]嘉永1(1848).8.26.江戸江戸時代末期の浮世絵師。本名池田義信あるいは茂義。字は混声。通称,善次郎。号は渓斎,旡名翁(むめいおう),北花亭など。若くして狩野白珪斎に学び,のち菊川英山の門に入る。文政5(1822)年頃から美人の大首絵(おおくびえ)に専念。歌麿の理想的様式美の追求とは異質の,女性の内面の抽出に独自のスタイルを完成した。そのほか洋風手法を用いた風景画,人情本挿絵,春本なども作成。また女郎屋を営み,好色的な筆名を用いるなど奇行に富む。天保の改革後は藍摺を用い,晩年は戯作者に転向。著書『旡名翁随筆』。主要作品『浮世風俗美女競(くらべ)』『今様美人拾二景』,安藤広重との合作『木曾海道六拾九次』,『江戸日本橋ヨリ富士ヲ見ル図』。 (引用元 コトバンク)