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光明天皇(こうみょうてんのう)

北朝第2代天皇[日本]

(康暦2年6月24日崩御)

(ユリウス暦) 1380年 7月26日 死去

光明天皇 - ウィキペディアより引用

光明天皇(こうみょうてんのう、1322年1月11日〈元亨元年12月23日〉- 1380年7月26日〈康暦2年6月24日〉)は、日本の北朝第2代天皇(在位:1336年9月20日〈建武3年8月15日〉- 1348年11月18日〈貞和4年10月27日〉)。
諱は豊仁(ゆたひと、旧字体:豐仁)。
後伏見天皇の第九皇子。
母は西園寺公衡の女の西園寺寧子。
延元の乱の最中に、光厳上皇の譲国詔によって践祚。
在位中は光厳上皇による院政が敷かれていたため、めぼしい業績はないが、天皇として、有職故実・芸術・学問の習得に励んだ。
正平一統が破綻した際に、南朝によって拉致されている。
なお、その即位によって北朝が成立したので北朝最初の天皇ということになるが、明治以降、鎌倉時代末期に在位した兄の光厳天皇が北朝初代天皇として扱われているため、現在の皇統譜では光明は北朝第2代とされている。

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