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亀山天皇(かめやまてんのう)

第90代天皇[日本]

(嘉元3年9月15日崩御)

(ユリウス暦) 1305年 10月4日 死去享年57歳

亀山天皇 - ウィキペディアより引用
亀山天皇(かめやまてんのう、建長元年5月27日(1249年7月9日) - 嘉元3年9月15日(1305年10月4日))は、鎌倉時代の第90代天皇(在位:正元元年11月26日(1260年1月9日) - 文永11年1月26日(1274年3月6日))。
諱は恒仁(つねひと)。
後嵯峨天皇の第七皇子。
母は西園寺実氏女、中宮・西園寺姞子(大宮院)。
后腹では後深草天皇に次ぐ次男。
大覚寺統の祖。
父母から鍾愛され、兄の後深草天皇を差し置いて治天の君となり、やがて亀山系の大覚寺統と後深草系の持明院統との対立が生じる端緒となった。
正嘉2年(1258年)8月、惨烈を極めた正嘉の飢饉の最中、10歳で立太子、翌正元元年兄の後深草天皇の譲りを受けて践祚。
即位には父の後嵯峨上皇や、母后の大宮院の意向があったとされる。
文永2年(1265年)には、元のクビライからの国書が高麗を介して伝えられ、鎌倉から送達される。
幕府は元に備えると共に、朝廷は神社に異国降伏の祈願を行う。
院政中には2回の元の対日侵攻(元寇)が起こり、自ら伊勢神宮で祈願するなど積極的な活動を行った(当時の治天であった亀山上皇か、天皇位にあった後宇多天皇の父子いずれかが「身を以って国難に代える祈願」を伊勢神宮に奉ったことは史実だが、父子のどちらにその祈願を帰すべきかは、大正年間に学者の間で大論争を呼んでいまだ決着のつかない問題である)。