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足利義材

室町幕府第10代将軍[日本]

(大永3年4月9日没)

(ユリウス暦) 1523年 5月23日 死去享年58歳

足利義材 - ウィキペディアより引用

足利 義稙(あしかが よしたね)は、室町幕府第10代将軍。
父は室町幕府第8代将軍・足利義政の弟で、一時兄の養子として継嗣に擬せられた足利義視。
母は裏松重政の娘(日野富子の妹に当たる人物であるが名は伝わらない。
はじめから命名されていない可能性もある)。
将軍在職は2つの時期に分かれており、1度目は延徳2年7月5日(1490年7月22日)から明応3年12月27日(1495年1月23日)まで在職した後、約13年半の逃亡生活を送る。
2度目は永正5年7月1日(1508年7月28日)から大永元年12月25日(1522年1月22日)まで在職した。
父・義視は応仁の乱において山名宗全の西軍に属し、文明9年(1477年)に子の義材(よしき)を伴い美濃国に亡命した。
長享3年(1489年)、早世した9代将軍の従兄足利義尚と彼に続いて死去した伯父義政の後継者として上洛し、義材が第10代将軍に就任した。
その後、東軍を率いた細川勝元の跡を継いだ細川政元と対立、明応2年(1493年)将軍職を廃され幽閉されたが(明応の政変)、脱出して越中国、越前国へ逃れ、諸大名の軍事力を動員して京都回復・将軍復職をめざして逃亡生活を送った。