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藤原頼経

公家、鎌倉幕府第4代将軍[日本]
(康元元年8月11日没)
藤原頼経 - ウィキペディアより引用
藤原 頼経(ふじわら の よりつね)は、鎌倉幕府の第4代征夷大将軍。
摂家から迎えられた摂家将軍。
両親ともに源頼朝の同母妹坊門姫の孫であり、前3代の源氏将軍とは血縁関係にある。
妻は源頼家の娘竹御所。
竹御所は難産の末、母子共に亡くなり、源頼朝直系である源氏将軍の血筋は断絶した。
頼経は反執権勢力に利用されるようになり、第5代執権北条時頼によって京都へ追放された(宮騒動)。
生涯 九条道家と西園寺公経の娘・倫子の子として生まれる。
生まれたのが寅年・寅日・寅刻だったので、幼名を三寅(みとら)と言った。
建保7年(1219年)に3代将軍・源実朝が暗殺された後、鎌倉幕府は皇族を将軍に迎えようとして、有力御家人一同が連署した上奏文を携えた使者を京都へ送ったが、後鳥羽上皇に拒否される。
そのため源頼朝の同母妹(坊門姫)の曾孫にあたる2歳の頼経が鎌倉に迎え入れられた。
三寅の鎌倉下向から数年間は北条政子が尼将軍として三寅を後見して将軍の代行をしていた。
その後、承久の乱をはさんで、6年後の嘉禄元年(1225年)、元服し頼経と名乗る。

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