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天野貞祐 氏(あまのていゆう)

哲学者、教育者、獨協大学初代学長[日本]

1980年 3月6日 死去享年97歳

天野貞祐 - ウィキペディアより引用

天野 貞祐(あまの ていゆう、1884年9月30日 - 1980年3月6日)は、大正・昭和期の日本の哲学者・教育者・文学博士。
京都帝国大学名誉教授。
第二次世界大戦後は第一高等学校校長・文部大臣(第3次吉田内閣)を務めた後に獨逸学協会学校を母体として創立された獨協大学の初代学長を務めた。
文化功労者。
神奈川県津久井郡鳥屋村(現在の相模原市)の豪農の出身、父・天野藤三は自由民権運動に参加して後に村長・衆議院議員を務めた。
ちなみに実兄は尾崎行雄の妹婿にあたる。
父は教育熱心な人物であり、天野も将来医師になる事を嘱望されて13歳の時に獨逸学協会学校中学校(旧制中学、獨協学園の前身)に入学した。
そこで野球と出会い、野球部の選手として活躍したが足を痛めて退部、更に追い討ちをかけるように母をチフスで失い、4年生の時に退学してしまう。
だが、21歳の時に内村鑑三の『後世への最大遺物』を読んで、自分の人生を見つめなおした天野は獨協の5年生として復学して翌年には首席で卒業した。

あまのていゆう [生]1884.9.30.神奈川[没]1980.3.6.東京哲学者,教育者。1912年京都大学を卒業,第七高等学校,学習院,京都大学(1931~44)の教授を歴任し,第4次吉田内閣の文部大臣(50~52)をつとめた。以後没年まで独協学園長(64~69,独協大学学長)であった。カントを専攻し『純粋理性批判』の翻訳(3巻,21~31)や『道理の感覚』(37)など多数の著訳書は『天野貞祐全集』(9巻,70~72)に収められている。教育刷新委員会,中央教育審議会委員さらに文相として,第2次世界大戦後の日本の教育政策に大きな影響を及ぼした。 (引用元 コトバンク)