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源頼家(みなもとのよりいえ)

鎌倉幕府第2代将軍[日本]

(元久元年7月18日没)

(ユリウス暦) 1204年 8月14日 死去暗殺享年23歳

源頼家 - ウィキペディアより引用

源 頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男で母は北条政子(頼朝の子としては第3子で次男、政子の子としては第2子で長男)。
父・頼朝の急死により18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、征夷大将軍となる。
若年の頼家による従来の習慣を無視した独裁的判断が御家人たちの反発を招き、疎外された母方の北条氏を中心として十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられた。
合議制成立の3年後に頼家が重病に陥ると、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟の実朝を担ぐ北条氏との対立が起こり、北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡する。
頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉されたのち、北条氏の手により暗殺された。
頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実権を握る事になる。
生涯 鎌倉殿の嫡男 寿永元年(1182年)8月12日、源頼朝の嫡男として鎌倉比企ヶ谷の比企能員の屋敷で生まれる。

みなもとのよりいえ [生]寿永1(1182).8.12.鎌倉[没]元久1(1204).7.18.伊豆鎌倉幕府2代将軍(在職1202~03)。頼朝の長子。母は北条政子。幼名,万寿。頼朝の死後家督を継ぎ,建仁2(1202)年7月征夷大将軍になったが,実権は北条氏が掌握。同3年8月病を理由に,関東28ヵ国の地頭職および総守護職を子一幡に,西国38ヵ国の地頭職を弟千幡(→源実朝)に譲らされた。9月頼家は舅の比企能員と結び北条氏を除こうとはかったが失敗。能員と一幡は北条時政に殺され,頼家は伊豆修禅寺に幽閉され,のち北条氏に殺された。 (引用元 コトバンク)